とびっきりの愛に抱かれて

年末が目と鼻の先にある。

年、とし。

そこかしこで、とし、を耳にし、口にする時期である。

ここでいう、とし、とは、主に今年一年のこと、稀に来年のことを指すこともあるが、僕にとっては、違う響き方で、とし、が確かに存在している。

年齢、の意である。

所謂、年とったなあ、という感覚である。

 

先日、行きつけのラーメン屋で、いつも通りに注文したときのことである。

卓上には、ニンニクをメインに各種調味料が置かれていて、若い頃はニンニクを入れることで心身共に満足していたのだが、ここ数年、ニンニクを自ら入れるという行為に疑問を覚え、味覚も拒み始め、ノーマルなラーメンをいただくのが慣習となっていた。

しかしながら、僕はここ最近、これはラーメンだけに限らず、牛丼にも言えるのだが、ショウガを以前よりも欲していることに気づいた。

理由は明確で、サッパリするから。

この日も、短冊切りされたショウガを、いつものラーメンに入れてみた。

いやあ、爽快やね。

何か、人の為に事を成したような、お役に立ったような、そんな気分にまでさせてくれる。

ニンニクには、何か罪悪感や背徳感といったものが付きまとうのに反して、だ。

ニンニクとは、若さ故の反発する感情を体現した食材なのかもしれぬ。

扱いには十分に留意したい。

 

さて、ショウガのサッパリ感を好むようになってきて思う、とし。

あと10年後、調味料云々と語りながらもガッツリとラーメン食べに行っていた過去の自分を笑っていたら、それはそれで可笑しい。